俥夫 2

JUST FOR FUN

⑥旅=ハプニング

アジアの次はいよいよヨーロッパを走る

今回はバルセロナパリバルセロナ

3ヶ月で2500キロを走るルートになった。

スペインは思った以上に山道ばかり!

毎日60キロをオーバーする距離を走り続けた。

 

今回パリに行くのには一つ理由があって

JAPAN EXPO2018という25万人が集まるビックフェスにリキシャーズのブースを出せることになったのだ。

世界中の人がお店を出す文化祭みたいな感じ!

日本の良さや人力車を知ってもらうチャンスだ。

この経験をみんなに伝え共有したい!

そして、一人でも多くの人が挑戦するきっかけになれば良い。

しかし、皆様お忘れだとおもうが、

リキシャーズの旅にはハプニングがある。

ジャパンエクスポに到着する4日前に事件は起きた。

パグが無理に山を越えようとしたら

人力車が壊れてしまったのだ。

人力車のタイヤはありえない角度に曲がった。

数字の6のようにぐねり。

自転車屋さんで直してもらおうとするが、何件渡っても

帰ってくる答えは「NO!!!」だった。

でも何としてでもイベントまでに辿り着かなきゃ行けない。俺たちは最後の力を振り絞って人力車を押した。

途中で車がバラバラになろうが関係ない。

何が起きるかわからない

これが旅だ。

今までの旅の中でもT O P3に入るほど大変だった。

死ぬ思いでなんとか現地に到着!!

お待たせ JAPAN EXPO!!!

人力車な壊れている為、本来お客さんを乗せて走るイベントだったが、急遽人力車の撮影会に変更。

どうやっておもてなしをしようか不安だったけど、乗ってくれたお客さんを精一杯盛り上げた。

4日間で2千人以上の人が人力車に乗ってくれて、

みんな笑顔になってくれた。

25万人の人が来場し改めて

日本は素晴らしい国だと実感した。

このイベントに参加できたこ事を誇りに思う。

日本の伝統や文化がヨーロッパまで伝わっているなんてなんか感動だった。

旅中に泊めてもらった人もわざわざEXPOに来てくれて、中には日本に行くのが夢だという人もいた。

イベントはこうして終わり、またパリへと戻る。

一安心かと思いきや、思いもよらぬ知らせが。!

旅の折り返し地点でこれまで2年間一緒に旅を続けてきたてんすけんが

「もう一度本気で芸人を目指したい」と急遽リキシャーズを抜ける事になったのだ。

「このタイミングか〜」と思ったが、

やめるも続けるも本人の自由。

寂しい気持ちでいっぱいだったが、

ここまで一緒に旅できてたのはてんすけん、そしてケニーのおかげ。

託されたバトンはガソリンに代わり

俺とパグでなんとしてでも走り切る!

「ありがとう」という気持ちで見送った。

ここでまたもやビックニュースが!

パリでママチャリ旅をしていた日本人のまゆちゃんという女の子と合流し、一緒に旅をする事になったのだ。

まゆちゃんもリキシャーズのメンバーとしてママチャリで一緒に走る事になった。

予想外の事が日常茶飯事のリキシャーズの旅

でもみんながワクワクする事ならなんでもありだ。

 

パリからバルセロナに帰る時

衝撃の事実が。

3ヶ月の観光ビザがあと少しで切れてしまうのだ!!

急がなきゃ不法滞在になってえらいことになる。

帰りの1400キロ。160キロペースで走り続けないと間に合わなかった。

そんな時にメンバーのパクが足を怪我する

皆の体力ももう限界に。

でもなんとしてでも間に合わないといけない。

パグはヒッチハイク。俺は人力車を押し、まゆちゃんは自転車という

三人バラバラの形で旅をする事になった。

160キロと人間技じゃない距離に途方が暮れる。

本当は使いたくなかったが、人力車をトラックに積んでゴールせざる終えなくなる。

最後は人力車をバラバラにして、みんなでヒッチハイクをした。

しかし

トラブルメーカーだったパグが

最後に奇跡を起こす。

バルセロナ行きの大型トラックを見つけ、人力車のokが出たのだ!

なんとか空港へ間に合うことができた。

その人がめちゃくちゃいい人で助かった!

 

旅の疲れも人と出会う事で癒される。

無事パリに到着して一安心

これでようやくヨーロッパを出られる!

と、思ったが!!

90日の観光ビザの為、

3ヶ月ぴったりいると3日ほどステイオーバーしていた。

なぜなら、1ヶ月は毎回30日とは限らないから。

そんな事すら考えてなかった3人。一か八か

なんとか税関を通らなければ

全身から汗が噴き出る。

ここでまたもや奇跡が!

なんと2.3日オーバーしていたにもかかわらず

黙って税関を通してくれたのだ。

本当はいけない事だから絶対に真似しないでね。笑

間一髪をくぐり抜た。

こうしてヨーロッパを抜けリキシャーズは

オーストリアへ進出する。

一度日本に帰国し、オーストラリアへ向かう準備をした。

今回はなんとパグ、まゆちゃんに加え、

松村という人力車の仲間が新メンバーが加わる事になった!

賑やかな旅になりそうだ。

長くて永遠と続く道を走って何になるのだろう

そう思ったこともある

『何が正しいか』正解はない

ただ、自分の直感のままに走っていけばいい。

オーストリアは今までで1番民泊をして人との繋がりを感じれた国だったかも知れない。

民泊っていっても相手から

いいよーうち泊まりなよって感じではなくて

スーパーマーケットで張り込み営業スタイル❗️

民泊出来そうな人を見つけては話しかけてして泊まらせてもらった。

旅がはじめての松村は最初抵抗を感じていたが、

日課になるにつれて自分から進んで、「今日の宿探しましょう!」とノリノリになっていった。

宿が見つからず6時間張り込んだ事もあったが、ママチャリのまゆちゃんをエサに「彼女にシャワーを浴びさせてくれない?」といって

そのまま仲良くなって三人ともステイさせてもらうというスタイルが1番スムーズにいった。

現地の家庭に民泊したい方はご参考までに!

オーストラリアの人たちはあたたかく迎えてくれた。

クリスマス当日はメルボルンで365人乗せないと日本に帰れま10

というクリスマスイベントを終え、深夜まで大盛り上がりになった。

一体何人を人力車に乗せたのだろうか。ヘロヘロになりながら、

俺たちはあるビックニュースを聞きつけた

あの本田圭佑選手が¥メルボルンで練習をしているとの事!

噂を聞きつけてからは羽が生えたように足が軽くなり、

ケイスケホンダが練習しているとの情報がはいった練習上へ人力車で突っ込んでいった。

サッカー選手を目指していた俺は大の憧れでもあった。

そこに練習を終えたケイスケホンダはいた。

「よかったら乗りませんか?」と聞くと

快くok!

リキジャーズの人力車に乗ってくれて、

「この人力車世界を旅してるんだって!」

って周りの仲間にも話してくれた。

旅しててよかったのはこういう瞬間。

疲れなんか一気に吹っ飛んで

旅って最高ー!!

って思った。

YouTubeに動画があるから見てみてね❤︎

 

オーストラリアの旅はメンバー同士がぶつかる事も多かった。

疲労がたまると小さな事で揉めたり、相手への感謝が無くなってしまったりする。

旅に限らずチームでやっていくのは難しい。

楽しい」って気持ちを忘れそうな時は、

走るのをやめて、思う存分に楽しんだ。

一人ではできない事が可能なのはこいつらのおかげだ。

 


⑦出会いと別れの連続

2018

リキシャーズは本格的にYouTuberとして活動をしていくようになった。

本気でリキシャーズを盛り上げてくれているパグとまゆちゃんは固定メンバーに。

浅草で3人での共同生活を開始

YouTubeの企画では人力車で浅草から大阪までを走った。YouTubeで企画を始めたのはここからだった。

移動式銭湯をしているおけちと出会い4人で心霊スポットや危険な路地などを周りながら大阪までを走ったり。徐々に応援してくれるファンがついてきて俺たちの活動は順調に思われた。

これからリキシャーズ アメリカ進出だ。

ようやく安定してきた思った矢先。

リキシャーズの二人が一緒に活動できなくなってしまった。

旅に同行していたパグはまだ人力車の研修期間中で2年間旅して周っていた為、仕事にデビューできてなかったのだ。

今後の資金を貯めるためにも一旦人力車を頑張ることになった。

そして、まゆちゃんの本職は銀座のホステス。

仕事が順調に進んでおり、今が頑張り時というタイミングになっていたのだ。

はじめは寂しい気持ちでいっぱいだったが

リキシャーズとして活動しながらも、

今度はそれぞれ夢に向かって突き進んでいく二人を見て心から応援しようと思った。

「離れていてもみんなリキシャーズ」

アメリカには昔タイで出会ったダンさんという男性もリキシャーズに加わり一緒に旅にいく話で進んでいた。

ダンさんはリキシャーズのことをずっと応援してくれていて今までもたくさんお世話になっていた。

ダンさんは「アメリカに一緒に行きたい」といってくれて、

資金が尽きないよう、

スポンサーを沢山紹介してくれていたのだが、

ありがたい気持ちの反面、

リキシャーズが『仕事』ぽくなっている事に違和感を感じていた。

リキシャーズは『旅』

そう思い返し、

「沢山協力してくれたけど、本来の自分らしい旅がしたいんだ」

ダンさんに「旅には一人で行かせてくれ」と正直に伝えた

ダンさんは一緒にアメリカにはいかなくなったが、

今でも一緒に走り続ける大切なメンバーだ。

アメリカの事ここまで話して、

『フォレストガンプ』の話をするのを忘れていた。笑

アメリカについて調べていた時、

好きだった『フォレストガンプ』の映画を思い出した。

知能は低いが並外れた足の速さと誠実な人柄で周囲の人たちを助けていく。

何が起こるかわからない主人公の人生と自分の人生を重ねていた。

もう一度見返した時俺

「リアルフォレストガンプになろう」って思ったの。

『フォレストガンプ+鈴木ゆうじ=ガンプ鈴木や』

名前もできて、待ちに待ったアメリカ横断が始まった。

ニューヨークからロサンゼルスまで距離は約3000キロ。

アメリカ横断はとても特別だった。

アメリカはこの4年間計画のゴール

『アジアから五大陸を周って2020年東京五輪の開会式まで走りきる。』

ラスト残された大陸がアメリカだった。

はじめた当初のケニーとてんすけんと語った。

「アメリカ横断リキシャーズで走りきろう。」

しかし、みんなで挑戦するだったアメリカ横断は

気づいたら一人に。

リキシャーズの旅は常に

『出会いと別れの連続だった』

リキシャーズ結成して最初に話に乗ったてんすけん。そしてケニー。

3人でアジアを周り、

ヨーロッパでは研修中にもかかわかず来てくれたパグ、そしてまゆちゃん。

オーストリアから合流した松村。

自分らの目標の為にリキシャーズを抜けたりもあったが、

方向性の違いや、想像以上に過酷な旅の為、イメージとのギャップなど離れてしまう仲間もいた。

「一人だけ旅を続けられている申し訳無さ、」

「自分の力不足でみんながついてこれなかった。」

色んな感情が込み上げてきた。

その時、ロサンゼルスで出会ったナオさんという日系人の人が突然あるものを渡してきた。

『一人で走ってるんじゃなくて全員で走ってるんやろ。』

手には一冊のノート

俺、何も話していないのに、

「ここに出会った人の名前や連絡先をかけ」って

ノートの題名に書かれていた言葉

 

“jurney with you  run with you”

あなたと一緒に旅をしてあなたと一緒に走る

これをもらった時、はっと

『アメリカ横断は一人で走ってるんじゃない。みんなで走ってるんだ。』って

この旅は皆んなの想いを乗せて走っている事に気づかされた。

「皆んなのおかげでガンプ鈴木は走れている。なんとしてでもアメリカを走りきりたい。」

その想いがアメリカ横断という過酷な挑戦のガソリンになった。


⑧アメリカ横断3ヶ月。JUST FOR FUNの誕生

ルート66はどこまでも続く一本道

「フォレストガンプ」はこの道をどんな想い走ったのだろうか。

1枚目映画「フォレストガンプ」のワンシーン

2枚目ガンプ鈴木人力車で横断中。

ルート66はアメリカにある国道66号線のこと。

アメリカ合衆国中東部のイリノイ州と、西部のカリフォルニア州結ぶ

全長3,755kmの旧国道で西武アメリカが発展した最初の道なんだ。

アメリカのポップカルチャーはこの道無しには語れない。

アリゾナ州の40℃近い気温の中で砂漠を走り、

ニューメキシコ州に入ったら今度は−10℃の極寒。

毎日野宿だし、気温差がやばくてそれだけで体力を奪われた。

−10℃で野宿したときはこのまま自分は死ぬのかと思ったよ。

次の日に目が覚めなかったらと考え俺は

必死に動画を回した。

これはインスタのストーリーに残していたやつ。

どのくらい寒いって寝袋が凍って、鼻水がでたら一瞬で氷になるほど。

よくやく朝が来てこれほど「生きてる!!」と実感した事はないよ。

俺の中で決めていることは、

どんな状況でも楽しむこと。

そしてストーリーを見てくれている日本の人たちに

一緒にこのスリルを味わって欲しい。

だから動画を回し続けた。

ルート66は頻繁にお店があるわけじゃないから

カフェとコンビニがついているガソリンスタンドを目指す。

3日に一回あるか無いかのガソリンスタンドを目掛けてとにかく走った。

水と食料を唯一捕獲できる場所だったから俺にとってはオアシスだった。

泊まれる場所と言ったらあとはモーテル!

自動車旅行者のための簡素なホテルで今みたいにホテルが沢山できる前はモーテルが主流だったらしい。

【俺が発信を続ける理由】

YouTubeを初めて3年目。

人力車で走るだけでも過酷なのに、その中での撮影は更に過酷

でもなんでこんな事続けるかって

見てくれている人たちがいるから

俺の投稿をみて「旅した気分になった」

とか、「新しいチャレンジを始めました」って

んなの声が俺のガソリンになっていた。

RUN RUN RUN

みんなで走り続けよう

この終わりなき旅の素晴らしさを

冒険のリアルを伝えていって

いつかは

みんなでこのルート66を走りたい

人力車でアメリカ横断をするってこんなアホな事他に誰がするだろうか。

俺は世界一アホな旅人でいたい。

旅は基本は孤独だ。

これをいつまでやるんかな?

リキシャーズって何の為になってるんだっけ?

横断しながらそんな事を考える時があった。

景色も変わらず真っ直ぐと続くルート66の道。

だけど頭の中迷路のようにぐねぐねと彷徨っていた。

アリゾナ州に入ったところ、通りにポツンとあった看板には

JUST FOR FUN の文字。

面白いから写真を撮っておいた。

その日のゴール地点はウィリアムズという街に到着した。

すると、何を思ったのだろう。

ギター弾きのホームのおっちゃんが5ドルを渡してきた。

俺はびっくりして

「いいよ!!だって俺よりお金ないじゃん!」

っておじちゃんの手にお金を返した。

そしたらそのおっちゃん

” Just For Fun”って笑って答えた。

ちょっと面白そうだから

俺はその時少年の心に戻った気がした。

『なぜ旅してるのか?』って

楽しから旅をして、走り続けていた。

ただ、それだけだったんだ。って

ギターのおっちゃんが初心を思い出させてくれた。

これを見ている人たち

人生に迷ったら初心を思い出して欲しい。

JUST FOR FUN に出会ってから,

俺の人生に迷いは無くなった。

なぜそれをやっているかって、初心はきっと

「ちょっと面白そうだから。」

最後はJus For Funにたどり着く事をギターのおっちゃんが教えてくれた。

アメリカ横断をして残り半分の地点まできた。

ビザが切れてしまう為、途中で一度日本に戻らないといけなくなった。終わりのカウントダウンが近いてくる。

ルート66の真ん中地点のアリゾナ州で倉庫を持っていたおじさんに出会いそこに人力車をおかせてもらう事に!!

沢山の人々に支えられて、助けられた旅。

俺には人力車に乗せてビール飲むことくらいしかできんけど、

これをみて一人でも多くの人が前を向くきっかけとか

チャレンジしてみようかなってなってくれたら嬉しい!!

 

Journey with you !Run with you

これからもみんなの想いを乗せて走り続ける。

こうして人力車を残して日本に帰国した。


⑨東日本大震災から9年。 聖火ランナーで心の火を灯す。

2020

コロナの感染が広まり、アメリカへ戻ることが難しくなってしまった。

ほんまいつになったら行けるんやろ。

予測できない事こればかりはしょうがない!

目標にしていた東京五輪も無観客での開催になって

夢は一気に遠のいてしまった。

だがこんなところで落ち込んでる場合では無い。

アメリカ行けないなら、今年はは日本を周ろうと決めた。

これを機会に日本の魅力をもっと発信しよう!

 

東日本大震災から9年。

東京オリンピックも『復興五輪』がテーマとなっていた。

コロナの影響で聖火ランナーも行われなくなってしまったので、自分が人力車で聖火ランナーの代わりに走ろうとおもった。

東北のを世界に発信しよう。

浅草から釜石までの560kmを走る。

被災地には未だに復興できていない地域もあり、

地元の人の心には未だ癒えない傷が残っていた。

俺の出発点ともいえるあの人との再会。

ブラジルに行く時お世話になった村上さんのところへ。

当時は震災で宮城で農業の事業ができず、ブラジルへ学びに行ってた村上さん

今では畑も復活し、いつの間にか農業界でとても有名な人になっていた。

こうして再会出来ることがとても嬉しくて、

なんだか家に帰ってきたような気分になった。

2012年の鶴の恩返しプロジェクト以来の東北。

復興した街並みや人々の元気な姿が見れた反面、

まだまだ回復まで行き届かない厳しい現実があった。

日本は本当に素晴らしい国やと思う。

コロナで人との触れ合いが薄れる事もあるだろうけど見えない糸でみんな繋がっている

 

東北のYouTubeはこちらからご覧いただけます

JUST  FOR FUN

生きていれば多くの挫折を経験するだろう。

仕事がクビになった、彼女に振られた、お金が無くなったとか。

時には「自分が生きてる意味ってなんだろう」

そんな事を考える時もあると思う。

けどさ、

目の前に大きなうんちが落ちててそれを踏んで滑った人をみたら

思わず笑っちゃうと思う。

それが絶望的な状況の人だったとしても、

なんか気持ちが楽になれるはず。

JUST FOR FUNの気持ちを持っていれば

なんか面白いじゃん、って少しでもポジティブに考えられると思うんだ。

Just For Funはただ楽しいと意味ではなく、

物事の原点であり、切り替えのスイッチであり、ポジティブになれる魔法の言葉だ。

何かを始める時に

「ちょっと楽しいからやってみよう」って

日本の国民一人一人がこの精神になってくれたら、

もっと日本が元気になっていくんじゃないかなって。

【これからやっていきたい事】

Just For Funを伝える手段として、今はブランドをやっているが、この先「アメリカンドリーム」って名前でお店もやりたいと思っている。

お店件ゲストハウスのような形で、旅中に欲しかったものを全部そのお店につめたい。充電がちゃんとできたり、ご飯安く食べられたり。そのお店にいるだけで楽しくなる、そんな場所を作りたいな。

きっとその間もガンプ鈴木は走りつづけているから、お店に顔を出すのはたまにくらいやけど、店内にモニターを置いてガンプ鈴木のリアル旅をライブ映像を生で届けたい。そこでもお客さんとライブで繋がって交流したりしてね。お店のメニューに応援って言うの作って投げ銭ができるのになってたら面白いやん。

最後には映画を作りたいと思っている。

その時にはJust For FunからLife is Funにしてね。

Just For Funで走りつっけたらきっと

人生楽しくなる。

日本中の人がJust For Funになれればそれでいい。

まあ長々と喋ってもうたけど

伝えたいのは

RUNじゃなくてRUNRUN RUN

死ぬまで走り続けて止まることはない

こうした方がいいとか何も教えられる事はなくて

人生はチョコレートの箱みたいで

やってみないと何が起こるかわからない

って事だけ伝いたい。

まぁ知らんけど。笑

ではまた世界のどこかでお会いましょう。

 


ps.

ガンプ鈴木の好きな言葉

人生はチョコレートの箱のよう。

開けてみるまで中身はわからない。

後から知った話、

生き別れのお父さんは箱の会社をやっていた。

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