冒険家

挑戦する大切さを命がけで伝えていく  

幼い頃の夢を追いかけ続け、親に勘当されても夢を実現したプロ冒険家

阿部雅龍 
彼から『本気』の意味を学びました。

幼い頃は病弱でいじめられっ子だった阿部さんは、母に買ってもらった冒険家の伝記を読むのが好きでした。

特に惹かれたのが南極の冒険家白瀬隊長の本です。

いつか自分もこんなカッコいい冒険家になりたいと夢をみたそうです。

就活を始める時期。

「自分はこのままでいいのか」

「本当にやりたい事はなんだろう」

ふと、昔の冒険家たちの伝記を思い出しました。

秋田の国立大学を卒業後、就職をせずに

冒険家になる事を決意しました。

親に勘当されるも東京へ出て、無謀な冒険家への道を歩み出したのです。

現在プロの冒険家として活動を行う阿部雅龍さんは今ではテレビや多くのメディアで取り上げられるまでになりました。

夢に向かってチャレンジしている人は是非最後まで読んでください。

これからチャレンジしていきたい人にも阿部さんの言葉を聞き、行動してもらえたら嬉しいです。

2019年

日本人初ルートで南極点に徒歩で到達

今年2021年11月

人類初のルートで南極点へ単独徒歩で到達に挑戦します。

なんだか全部がパワーワードすぎますよね。笑

日本人初ルートって何?

南極点?徒歩!?

まず、冒険家歴をお話しします。

阿部さんが冒険を始めたのは23歳の時です。

秋田大学を休学し、南米大陸を単独自転車横断では

290日かけて10,924キロを走りました。

これが初めての海外旅行です。(笑)

26歳、7年間通った大学を卒業し、

資金稼ぎとトレーニングの為、

東京に出て浅草で人力車を引きました。

28歳の時にカナダ国境からメキシコ国境までのアメリカンロッキー山脈を自転車で縦走

 47 4,200キロ走ります。その後もアラスカカナダ間のユーコン川を単独カヌーで渡ったり

アマゾン川を自作のイカダで下ったりしました。

グリーンランド北極圏単独徒歩で750キロを横断。

35歳には「リキシャジャパントラバースプロジェクト」を企画し、

人力車を引いての全国一宮参拝約6400走りました。

壮大な冒険をしてきた阿部雅龍さん。

これも全てトレーニングの為でした。

彼の目的は

人類未踏「しらせルート」による南極点単独徒歩到達。

「夢は、100年以上
経っても受け継がれる」

100年前の南極冒険家、白瀬隊長。

 

白瀬隊長は1912年に日本人で初めて南極に到達した人です。

 

「白瀬隊長が挑戦し続ける姿は本当にカッコ良かった。」

『隊長が達成できなかった夢を自分が達成したい 』と話していました。

15年かけてその準備を、」

私は言葉が出ませんでした。

阿部さんの夢の計画は考えられないくらい壮大なものでした。

南極点に単独徒歩で到達というのは私の想像を遥かに超えたものでした。

食料などの補給を受けず約110キロのソリを引き55日かけて900キロの道のりを単独で踏破。

まず南極点というのは南緯90℃のところで地球の1番南に位置する場所という事です。

南極点からは四方八方すべて北ということになりますね。

南極点到達の話はメディアやテレビなどでも沢山紹介されているのでここでは実際に取材して感じた

阿部雅龍の人生感と想い

を伝えていきたいと思います。

なぜ南極に夢中になったのか?

まず気になるのがどうして南極に惹かれたのかというところです。

知らない世界を見てみたいから冒険家になる人はいると思います。
しかし、阿部さんはなぜ南極点到達という無謀な挑戦をしたのでしょうか?
夢中にさせたのは100年前の南極冒険家白瀬隊長でした。
1912年に日本人初めて南極上陸を果たしました。
極地探検を夢見て40年。白瀬隊長が51歳の時です。

南極点到達には至りませんでしたが、白瀬隊は全員無事帰還という快挙を成し遂げます。
これには日本中が湧き、盛大な歓迎を受けたそうです。
白瀬隊長が人生をかけて挑戦していたこと、それが人類未到のしらせルートでの南極点到達でした。

幼い頃、その伝記を読んだ阿部さんは白瀬隊長の挑戦し続ける素晴らしさに惹かれ「この人の夢を自分が叶えたい」と思うようになったそうです。

皆さん、南極大陸という所をどのくらいご存知でしょうか?
それはもはや地球ではなく他の惑星へ行くようなもの。
南極の気温はマイナス50℃、内陸へ行くと界一低い気温マイナス89.2度を記録した所もあるそうです。
冒険者は骨の髄まで凍りつく気候に苦しむことになりますが、様々な使命を背負って南極にやってくるのです。

南極費用 1億円!?
資金集めはどうやって?

1回南極行くのに一億円!?びっくりした方も多いと思います。

決して豪遊しているわけではないのです笑

チャーター機を用意するだけでも65百万円。

3か月もの間生死を彷徨いながら南極を歩き続けて費用1億円。

南極点を徒歩で到達した人が世界で見ても40人もいない理由は2つの大きな壁でした。

①資金不足②体力不足

冒険家が諦めてしまう理由。まず資金

阿部さんのようにスポンサーを募って資金を集められる冒険家は日本には数少ないそうです。

冒険できると、食べていけるは違くてどちらも達成することは難しいのです。

冒険家は、人と話すが苦手な人が多く、冒険はできても資金を集めるのな苦手のようです。

コミュニケーション能力とプレゼンが遥かに重要になってきます。

阿部さんの資金集めはこの3つから成り立っていました。

①企業スポンサー②個人投資家③阿部さんの稼ぎ

阿部さんの活動費は主に応援してくれるサポーターの方々で成り立っていたのが衝撃でした。

でも1億円って冒険家に投資してくれるの!?

スポーツ選手とかならスポンサーの商品を見につけて試合に出るだけでも大きな宣伝となります。

しかし、冒険家は生きて帰ってくるのかわからないし、費用対効果は期待できないのです。

そんな中でも一度に4千万近く投資してくれる社長さんもいるというのは驚きです。

理由は阿部さんの人柄

『冒険家だから』ではなく、阿部雅龍という人物に魅力を感じて応援の気持ちとして投資してくれるのです。

額が大きすぎて私なら嬉しい反面、もの凄くプレッシャーになるかもしれません。笑

冒険家というと好きな事を追求し、自分の世界で生きているイメージでしたが、『応援したい』と思ってもらうためには想いを伝えるという事が何よりも大切になってきます。

口下手だった阿部さんは自身の想いを出会った人に直接伝えていきたいと思い、プレゼンのセミナーで勉強したり、人力車を引きながらコミュニケーションスキルを磨いていきました。

冒険家だからといって一つのコミュニティにいるのではなく、『夢を追うことの楽しさ』を伝える為、ビジネスマンが行くプレゼンセミナーなどにも積極的に参加し、出会った人を虜にしていったそうです。

どんなにすごい事してても伝わらないと意味がない。

想いを伝えるという事は本当に大切ですね。

確かに、社長さんの周りには社長さんが集まるし、同じ境遇の方同士が集まるけど、『冒険家』という職業の友達がいたら誇らしい気がします。

個人投資家の方や地元秋田の方々も熱いサポートをさてくださって、阿部さんの冒険は多くの人に支えられていました。

その為南極点到達は

『一人の男の夢』ではなく『皆の夢、そして希望』になったのです。

『サポートしてくれる人がいなかったら、ここまで頑張れなかったはず、過酷な挑戦はしてなかっただろう。

阿部さんはそう語った。

本気で応援してくれる方々がいるからこそ頑張れる

一人でも多くの人に『挑戦する大切さ』を伝えたい。

それが阿部さんの原動力になっていました。

そして体力づくりも欠かせません。

阿部さんは毎日のトレーニング、リアカーや自転車、イカダ、人力車、様々な方法で冒険を続けたのも全ては南極に行くためだったのです。

南極点到達の準備にかかった期間はなんと約15年。。

体も弱かったので、人一倍訓練を重ねていたそうです。

死を感じた瞬間、人はどう思うのか?

北極で凍りつく海に落ちた時の話。

冒険に行くたびに死にかける経験は何度もありましたが、阿部さんの北極で海に落ちた話は衝撃的でした。

薄い氷の上をあるかなければならず、安全な場所を目指して歩いていた時、スキー靴が海面に浸かっていき、そのまま垂直姿勢で海に飲み込まれていきました。

身体を持ち上げようとするとどんどん沈んでいき、次第に全身が凍っていくのがわかった。

「もう、死んでしまう。」絶望的な状況でした。

阿部さんは

『諦めようと思ったことは何度もある』

と話していました。

ある程度過ぎると自分が凍りついているのも時代に辛く無くなってくる。

生きなきゃ!と思ってい体温をあげようとする事がとてもおっくうになってくる。

『本当にやばい状況になった時はこのまま死んだ方が楽ではないか、と思う事がある。』と。

とうダメだ。と思った時。支援者さんや友人、家族の顔が浮かび上がってくる。

自分は一人ではなく色んな人達に支えられて生きていた。

その人達の為に帰らなきゃと思い、生きることを諦めなかった。

なんとか海に浮いていたソリにしがみつき、なんとかソリの中へ。一晩をそこで過ごした。

指先は凍死し、感覚は何もない。

『こんな所で死んでたまるか。あんなに努力したのに。』

次の日、救助のヘリを呼ぶ事を決めた。

冒険を続けるのは命があってこそだ。僕はスーパーラッキーボーイだった。

その後ヘリが来て僕は助かった。

生きている事がこんなにも幸せに感じた事はありません。

と阿部さんは話してくれました。

人間が最後に思う事は人それぞれですが、そこで頑張れる人と諦めてしまう人がいるのだと思いました。

死にかけている状況は自殺などとも似ているのかれしれません。

生きられない状況の時は死んだ方が楽だと思ってしまう。

そこで諦めてしまった人は自殺してしまうのだと思いました。

「冒険は死にに行くようなもの笑アグレッシブな自殺だね。」

阿部さんは笑って話してくれました。

「挑戦する事の大切さ」を伝えるために命をかけて戦う阿部さんがかっこよかった」

冒険をした結果どう変わったか?

『幸福のハードルが下がり、生きている事が幸せに感じる』

「何気ない日常に感謝できるようになった。」

南極、北極のような過酷な状況にいると通常の生活に戻った時、「日常がどれだけ素晴らしいか」という事に気づかされると話していました。

氷つくこともない、足を滑らせて海に落ちることもない。支えてくれる仲間がいて、同じ日常が送れる事が凄く幸せに感じるのです。

『これも不足を知らないと 経験の幅がないとわからなかった事。』

当たり前に享受しているものって気づかないものです。

もう一つ変化したことは、

『面白い経験を積むと面白い人たちに会える』

体験を重ねることで周りの環境が変わっていく

「これはどんな事でもそうですが、自分が成長すると周りにも面白い人達が集まってきます。

経営者の話でも結構同じこと言ってると思います。笑最終的には同じところに辿り着くんですよね。

ビジネス書でも書いてあることかもしれませんが、経営者でなくて、冒険家でも同じ事が言えるんだよという事を伝えたいですね。」阿部さんはそう話していました。

3ヶ月間南極で一人ぼっち。
孤独との闘いをどう乗り越えた?

南極大陸で3ヶ月間一人。SNSなんかもちろん通じません。

そんな中「どう孤独と闘っていたのか?」

阿部さんから返ってきた答えは意外なものでした。

3ヶ月間一人でいるのは意外と孤独じゃないんだよ。都会に帰ってきた時の方が孤独に感じるかな。』

スマホも使えず、一人の時間をそれほど長い間過ごす事はなかなかありませんよね。

しかし、阿部さんは一人の時間、今までの冒険での様々な出来事を振り返っていると話していました。

普段は忙しくしていると、忘れてしまっていた思い出が蘇ってきて、「あの時あの人と出会ってこんな事話したなあ」と、懐かしくなり出会えた事や支えてくれている人達の感謝の気持ちでいっぱいになるのです。

冒険は自分の人生を振り返る時間。

「逆に都会にいる時の方が孤独というのは?」

冒険家という職業の人は中々いない為、人と分かち合えない事が多いと言います。

確かに、社長さんなど経営者同士なら苦悩や困難など分かち合える部分が多いと思います。冒険家は人が誰も体験していない事なので孤独なのかもしれないですね。

しかし、どんな職業でも夢を叶えるためには本気の努力が必要です。

挑戦する人に伝えたい事。

『本気でやり抜く』

誰しも本気でやらない人を応援しようという気持ちにはならない。

僕の冒険は企業のスポンサーさんやサポーターの方々の支援で成り立っている。

南極点到達までには3か月かかり、飛行機も自分でチャーターしなければならない為、費用は約1億円。

それほど大きな金額を支援していただけるようになったのも僕が本気で夢に向かって走り続けていたからだと思う。

今までは応援をしていただく手段として、浅草で車夫という人力車を引く仕事をしていたが、もっと本気でいたいと思い、自分の収入源であった車夫を2年前にやめた。

自分で食べていく手段を無くすなんて自殺行為ですが、サポーターの方々にも本気な姿を見せたかった。

『何事にも賞味期限がある。』

(冒険する前の阿部さん、いかつい笑)

何かに挑戦するとき、もちろん怖いと思う人もいると思う。何しろ南極点に徒歩で到達なんて死と隣り合わせの状況誰も達成した事にチャレンジしようとしているのだから。

しかし、『人生は一度きり。』

人生何回でもやり直しが効くなら、やってみたい事は沢山ある。

冒険だって体力があるうちは色々な事ができるが、年齢を重ねる上で必ず寿命がくる。

今やりたいと思った事を今やることが大切 なぜならその年齢でしか味わえない感覚があるから

今しかできない事を挑戦してほしい。

『信用は貯金』

「信用は貯金だ」という言葉を聞いた事がある人もいるだろう。

冒険は応援してくれる人達がいるから成り立っている。

その為、冒険に行かない期間も自分の活動を広め、伝えるという事をとても大切にしている。

SNSでの発信は欠かさず、講演会やYouTubeなどを通じて自分の想いを発信し続ける事が大切だ。

サポーターの方々とも連絡をマメにとり、僕がをやっているか毎日の様子を伝えるが信用に繋がると思う。

「冒険家だから」ではなく、

「阿部雅龍だから応援したい。」

そう思っていただけるように出会った方々には年賀状や暑中見舞い、お手紙などは欠かさず送るようにしている。

ハガキなんかは今の時代どんどん無くなっているが、

今の時代と逆の事をする。

その事でより覚えてもらいやすくなると思う。

阿部雅龍さんを取材して

今回取材した阿部雅龍さん。

取材するは様々なメディアで取材されているのを見て、「なんだか南極に行ってる冒険家で凄い人らしい」という印象で、自分とは世界が違いすぎる存在のように感じていました。

会う前の私のイメージでは南極冒険家というと、ひげもじゃで無口なイメージでした。

しかし、実際会ってみたら、見た目もシャキッとしていてイケイケなベンチャー企業の社長さんのような雰囲気。

話を聞くうちに阿部さんの物事を伝える力、そして夢を叶える熱意に私はどんどん惹き込まれていきました。

今回取材して

『誰でも本気になれば夢は実現する』『想いを伝えたら必ず応援してくれる。』

ということを身をもって教わりました。

阿部さんは特別人と話すのが上手で、タフな体だったわけでありません。

人前で話すのが苦手な為、はじめは文章力から磨いていきました。

『人は努力を続ければ変われる』

誰の人生でもない。一度きりの人生。

決めるのはあなた自身です。

今から実践出来ること。

「目標を口にし、発信すること。」

これが第一歩だと思いました。

叶えたい夢は、口に出せ。とよく言われます。

その通りで、自分の想いを人に伝える事で周りの人も協力してくれたり、可能性を広げてくれます。

また自分自身のやりたい事を整理でき、他人に表明することで、行動せざるを得ないようになるのです。

SNSのなかった時代は自分を知ってもらう手段がない為、努力が報われない事も多かったはずです。

しかし、今の時代は発信する事で、どこでチャンスが巡ってくるかわからない。

何かをやってみたい人、夢がある人。

まずは身近なSNSでの発信をお勧めします。

自分自身の限られた『時間』をどう生きたいかをイメージして過ごす事が大切です。

私は何かを成し遂げた訳ではないので、大それた事は何一つ言えませんが、取材させて頂いた方々から学んだ事をここでシェアして世界を広げていきたいと思います。

「人生は夏休みの自由研究」

一緒に挑戦していきましょう!

 

人力チャレンジ応援部

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