『鶴のひと声』

これは学生の時に作った人生で最大のプロジェクト

ガンプ鈴木は当時22歳。

 

 

ブラジルから地元京都へ帰国後、

ブラジルに行く途中で出会った村上さんに恩返しをしたいと思った。

村上さんがいた宮城県は津波の被害をもろに受けたところだ。

以前、村上さんは俺に被災地の厳しい現状を話してくれた。

俺は13年間続けたサッカーを辞め、世界を周る前に

東北を元気づける事をしたいと思った。

2011年5月

東北の被災した地域を巡り、被害の深刻さを見た。

宮城県の被災地で地元の人の話を聞き、

「東北に想いを届けられるものは何だろう」と考えた。

そこで思いついたのが折り鶴だった。

「日本中から鶴を集めて、折り鶴を作って村上さんのいる地元へ届けよう。」

名案だと思ったが、

村上さんに話すと、意外な答えが返ってきた

「それだとありきたりで面白くないな。

もっと世界規模にしようじゃないか。」

こうして「鶴のひと声」という団体を作った。

「世界中の人たちにどのように広めよう?」

当時のSNSといえばFacebook一択!

動画を作り始めたきっかけもこの時だった。

Windowsのムービーメーカーではじめて動画作り、「被災地に鶴を届けたい」と宣伝をした。

クラブイベントに行ってプロジェクトの説明をしたり、大学の文化祭でブースを出させてもらい鶴をおってもらったり、あらゆる手段を使って鶴を集めていった。

だから大学なんて行ってる暇もなかった。

「クリスマスに被災地の人に折り鶴をプレゼントしよう!」

2012年の1223日から3日間。仮設住宅を一件ずつ回ってプレゼントする事にした。

折り鶴の目標は10万羽

そのくらいやった方がワクワクする。

俺はなんとしてでも達成したいと思って作戦を考えた。

半年間はサンタの格好をしてストリート折り鶴をやってみた。

路上で通りがかった人たちにプロジェクトを説明し、

鶴を折ってもらううちに色んな所から人が集まってきた。

そのうち、「九州で集めてくる」「東京で集めてくる」と

次第に全国に折り鶴のチームが出来上がっていった。

「東北の人たちの為に何かしたい。

けれど何をしたら良いかわからない」

そういった人達がこのプロジェクトを本気になって協力してくれた。

開始して半年。

折り鶴は全国から送られてくるようになり家の中はいつの間にか鶴で埋まった。

地元の社長が「うちの事務所を使いな」と言ってくれて

ビルの一階に折り鶴を置かせてもらえる事になった。

気づいたら全国からトラックで折り鶴が届くように。

ビルの一階だけでは収まらず、ついに事務所の1階から3階までに鶴を置かせてもらった。

ここまで規模が大きくなるとヨーロッパで旅してる場合じゃなくなった。

夏にヨーロッパを旅する事を決めていたが、予定を変更し、ヨーロッパでも鶴を集る事にした。

2ヶ月間でヨーロッパ、7カ国を周る旅

日本人学校などを訪問して鶴を折ってもらった。

お金無いし、怖いものも何も無かったから、

リュックを放置したまま路上で野宿したりしていた。

(この頃からずっと野宿笑)

ヨーロッパで出会ったバックパッカー達にも折り紙を渡して、世界中で鶴を折ってもらえる事になった。

「集まった鶴をどんな形で届けようか?

千羽鶴では普通すぎる。」

考えた末、

折り鶴アートをしてクリスマスツリーの形で届ける事にした。

京都の材木屋さんに行って「鶴のひと声」の内容を話すと、余った木のパネルを無料で譲ってくれた。

こうして200枚のパネルに鶴のクリスマスツリーをつける事に。

鶴いっぱいの事務所にはいつしかSNSや新聞をみて毎日多くの人が鶴を折りにきた。

子供からおじさんまで全員知らない人たちが事務所に大勢。

俺がこのプロジェクトに本気だった理由は

「一年が経った今でも東北に目を向けているという想いを届けたかったから。」

東北大震災があったことも時間が経てば忘れてしまう。

日本人はもちろん、世界中のたちにも震災があった事を忘れないでほしいと思った。

中には「鶴なんかより支援物資や現金を送った方が良い」との指摘もあった。

けど、俺はお金とかじゃなくて、

被災地で孤独を感じている人達に世界中の人達が一緒に戦っている、一人じゃない。という想いを届けたかった。

初めて9ヶ月をすぎる頃、当時の目標の10万羽を超えた、13万羽が集まった。

1223日のプロジェクト当日。

30人ほどの人たちと共にバスを借りて東北の仮設住宅や学校に折り鶴アートを届けに行った。

思い出すだけでワクワクするあの日のこと。

「ハッピークリスマス!」サンタの格好をした30人が一件ずつ訪問をしていく。

中には涙を流して喜んでくれる人もいた。

「よく来てくれた」と東北の人たちとハグを交わした。

俺は鶴なんかどうでも良くて、これだけの人が東北目を向けているという事をただ伝えたかった。

沢山の人の協力がありプロジェクトは大成功だったと思う。反面、ボランティア活動には終わりはない事を感じた。

2013年、東北で追悼式が行われた。

そこで、支援してくれた202カ国の国旗を折り鶴で作り、鶴の展示会をした。

「鶴のひと声」は村上さんのひと声で東北への恩返しへと繋がり、一年間の俺の人生最大のプロジェクトはこうして終わった。

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